嘘をつかない

森田ゼミの三原則その3

森田ゼミ三原則の最後のひとつは、嘘をつかないということである。

よほど悪知恵の働く天才詐欺師でない限り、それほど悪賢くないわれわれは、嘘をつかないということを生きる上での方略とした方がよい。

自分を「盛る」

最近、学生たちが「盛る」という言葉をよく口にする。InstagramやLINEなどにアップするセルフィー(自撮り写真)などの画像をアプリで加工して実物よりもよく見せることや、就職活動の面接などでこれまでの経験や体験を披露する時に、事実ではないエピソードを加えたりして印象をよくしようとすることを「盛る」と表現しているようだ。

「多少の演出や脚色は良いが、悪質なヤラセや嘘との間には一線を画しておかなければ、後で自分を苦しめることになるよ」と私が助言をすると、就活生たちの多くは「どうして嘘はよくないの?」と無邪気に聞き返してくる。みんなやっていることだし、そういうのも内定をゲットするためのテクニックの一つなのだと言いたいのだろう。

騙し通すことができるのか

そこで私は、「よほど賢くない限り辻褄が合わなくなるし、ばれた後、平気で悪質な嘘をつく人物であると気づいた企業側がどのような結論を導き出すかを考えてごらん」と答えるようにしている。

かりにまんまと相手を騙し通すことができたとしても、明白な嘘をついて内定をもらえたならば、その人もまた、それすら見抜けぬような間抜けな会社に見込まれた間抜けな奴ということになる。

嘘をつくことで得られるものと失うもの

以上のようなことは、普段の生活にも当てはまる。身近な人たちに嘘をついて騙して得られる利益よりも、「あいつは嘘をつくよ」という評判を身にまとうことで失う利益の方がはるかに大きい。

犯した罪そのものよりも、それらを隠したり言い逃れしたりしようとして偽証したことの方を、厳しく責められて多くのものを失ってしまった人たちをたくさん見てきた。

その瞬間は、言い逃れすることで得られる利益の方が大きく見えるのだろうが、長い目で見たら、それは極めてリスクの大きなギャンブルをしているようなものなのである。

「嘘つき」や「信用ならぬ奴」と周囲から見なされることで負う決定的な痛手に比べたら、事実を認めて謝罪することで負う痛手などかすり傷のようなものだ。

正直に行動すること

正直に振る舞うこと。悪質な嘘はつかないこと。これを己の行動原則として自分を律しておくだけで、人生で出会うトラブルの数はものすごく小さくなる。

そして、正直に行動することを心がけるということは、余計な悪知恵のために頭を使わずに済むことになるので、生き方そのものがシンプルになる。悩みも減る。

嘘をつくよりは沈黙を友にしよう

それでは、思わず嘘をつきそうになった時や、どうしても真実を話したくはない心境の時には、どうしたら良いのだろうか。その時は、口を開かないことだ。黙秘権を行使すれば良い。嘘をつくぐらいだったら、沈黙を友とする方がはるかにマシだ。


嘘をつかない。より快適に生きていくためのシンプルな原則だ。