人道支援とは、傷を負った左手を自分自身の右手で手当てするようなものである

赤十字シンポジウム2016で伝えたかったこと (1/4)

http://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=658

2016年11月12日(土)、表参道ヒルズ スペースオーにて「赤十字シンポジウム2016:複雑化する世界の中で~今求められる人道支援とは~」が開催された。

赤十字シンポジウムは、日本赤十字社とNHKが主催し、年末恒例の「海外たすけあい」の関連イベントとして長年おこなってきたもので、今年で記念の30回目を迎えた。

このイベントにパネリストのひとりとして参加したので、私がそこで発言した内容のうち、ぜひ伝えたかったことを要約してご紹介したい。


赤十字の活動のユニークなところ

赤十字という組織や活動のユニークなところは、基本的に「人道」の問題に特化しているところである。私自身の理解では、人道とは、人間の生命、健康、そして尊厳に関わる事柄を表している。人権よりもさらに基本的な、人間が人間として最も犯されたくない根幹の部分である。

赤十字は、平和や幸福といった大きくてポジティブな目標を掲げるのではなく、人道が大きく危機にさらされている状況に駆けつけて、その極めてネガティブな状態からの回復という救急的かつ実践的活動をおこなうことに集中している。

スピードと成果を重視しているということだ。プラスを増やすことを考える前に、まずは大きなマイナスの打撃を受けた部分をいち早く回復させようという意味で、夢想家ではなく現実家である。そして、批評家ではなく行動者である。

これらのベースとなっているのが「人道」。これを最も大事なこととして捉える考え方は、国や民族、宗教やイデオロオギーの違いを超越して、人類が普遍的に共有できる価値観になりうるのではないか。

人道支援の現実

20世紀に確立した、ある種人工的に作られた国民国家という枠組みに制度的な限界がきているのではないか。かつてのソ連やユーゴスラビアなどがその代表例であるが、それらは21世紀を待たずに真っ先に崩れていった。

国民国家が「国民」という共同幻想の下に押さえつけていた、民族や部族、あるいは宗教や宗派といった、人々が持つ「われわれ意識」の境界を形作る中心に長く存在してきたものが、あちこちで噴出してきており、国家内や国家をまたいで流動化や断片化の動きが強まってきている。

その結果、国民国家をベースにして成り立っている国際機関にとっても、その機能や能力を超えるような問題が次々に起こりはじめ、限界に直面しているのではないか。

人道支援の考え方:右手が左手を手当てする

左手が怪我をした時、何も考えずに自分の右手で手当てをするだろう。当たり前のように。そして右手自身のためにも。

人道支援もそれと同じように考えることはできないだろうか。右手は左手からの感謝を要求するだろうか。あるいは、ざまあみろとか、自己責任だとか、自分には関係ないとか言って、左手を見殺しにするだろうか。

一方、応急手当や処置はできるが、何事も最終的には自然治癒力が要となる。レジリエンスは、強靭力というよりも、自己再生、自己回復、自己治癒の力と捉えた方が的確ではないか。人間の怪我が細胞の再生能力で治癒していくように。

ただし、怪我をした瞬間は手当や、場合によっては手術が必要だろう。災害や紛争時において人道の危機に直面することになった特定地域の人びとに対する手当て。それが人道支援活動ということになる。


その2に続く。