「われわれ意識」の単位が小さくなり、相互理解が難しくなっていく

赤十字シンポジウム2016で伝えたかったこと (2/4)

http://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=658

引き続き、「赤十字シンポジウム2016:複雑化する世界の中で~今求められる人道支援とは~」で、私が発言した内容の要約をご紹介したい。


世界が分断化・流動化していく

アメリカファーストを掲げるトランプ候補が米国の次期大統領に当選した。さらに、イギリスのEU離脱も決まった。皮肉なことにそのイギリス国内では、スコットランド独立の火種も依然としてくすぶっている。

世界全体が分断化あるいは流動化の方向に向かっているように感じられる。その背景には、20世紀にある種人工的に作られた国民国家という枠組みが、ほころびを見せ始めたことがある。

国民という共同幻想が解け、アイデンティティの単位が小さくなっていく

国民国家は、「われわれのアイデンティティはソ連国民です、○○国民です」というアイデンティティの下に人びとを縛って囲い込んだことによって、その中での「自助、共助、公助」が機能していた。

ところが、「国民」という共同幻想が解けていくと、民族や部族、あるいは宗教・宗派の違いのような、もともと人々の心の中にあった「われわれはイスラム教徒だ、スンニ派だ、○○部族だ」というものが前面的に出てくることになった。

コミュニティにおける「自助・共助・公助」が機能しなくなっていく

そうすると、例えばイラクなどでも、かつてはシーア派とスンニ派とクルド人が1つのコミュニティの中で一緒に住んで、違いを乗り越えて同じコミュニティを維持して共助が成り立っていたものが、イラク紛争によってそれがバラバラになってしまい、同じコミュニティの中に敵味方が生まれてしまった。その結果、自助・共助・公助の部分の自助しか機能しなくなりつつある。

そうすると、今度は国民国家をベースとした国際機関も解決できないような問題がどんどん出てくる。クルド人にとっての、クルド人アイデンティティみたいなものが、イラク国民とかシリア国民の前に出てくる。

「われわれ意識」の単位が小さくなっていく

この「われわれ意識」というものが、どんどん小さな単位になっていくことによって、いろんな問題が生じてきているのではないか。

「われわれ意識」の単位が小さくなり、民族や部族、あるいは宗教や宗派といったものがアイデンティティの前面に出てくる中で、相互理解が難しくなってきている。

かつて同じコミュニティに住んでいた、シーア派、スンニ派、クルド人が突然一緒には住めなくなるみたいなことがその例だ。そうなった時に、文化や習慣の違い、価値観の違いをお互いにどう理解するのかがとても重要になってくる。

そして、どこまで理解して認め合うのかということがさらに重要になってくる。例えば女性には教育を受けさせない、あるいは極端な例でいうと、異教徒は殺してもかまわないみたいな文化とか価値観をある集団が共有している時に、われわれはそこまで認めてしまうのかということになる。

相互理解ができないと、みなが小さな「われわれ意識」の中に閉じこもっていく

われわれはどこまで互いの多様性を尊重し合い、どの部分は譲れないものとして共有し合うのかという共通認識がないと、結局はみなが小さなそれぞれの「われわれ意識」の中に閉じこもっていってしまうことになりかねない。よく知った人々の中で穏やかに暮らしていければよい、その中の生活さえ保たれていれば、それ以外の外側の人びとの生活はどうでもよいということになりかねない。


その3に続く。