「もやもや感」こそが世界市民の証

赤十字シンポジウム2016で伝えたかったこと (3/4)

http://www.nhk-p.co.jp/event/detail.php?id=658

引き続き、「赤十字シンポジウム2016:複雑化する世界の中で~今求められる人道支援とは~」で、私が発言した内容の要約をご紹介したい。


若い人たちの力と教育の力

「われわれ意識」の単位がどんどん小さくなっていくと、遠い世界のどこかで人びとの生命や健康あるいは尊厳が危機にさらされていても、自分自身の小さな生活圏の中での暮らしには特に支障がないからよいではないか、国際的な人道支援などはわれわれとは無縁だ、他国のためにわれわれの貴重な税金を使わないでほしいなどと、みなが思うようなことになりかねない。そこを変えていくためには、やはり若い人たちの力と教育の力が重要な役割を果たすのではないだろうか。

赤十字パートナーシップ講座を通じて学んだこと

現在、私は赤十字パートナーシップ講座「経営学特講(世界市民の視点:人道、人権、多様な価値の受容)」という授業を担当している。

今年も15回にわたり、日本赤十字社や国連難民高等弁務官事務所などで、災害救援の場、医療救援の場、あるいは伝染病対策などの命の危険のあるところに出かけて行ってお仕事をされている方々をゲスト講師にお招きして、人道や人権についてを学生と一緒に考えるということを繰り返してきた。

罪悪感や無力感、そして「もやもや感」

授業が進んでいく中で、学生の口から「もやもや感」が溜まっていきますね、という言葉が出てきた。これまでこんなことは知らなかった。民族同士が殺し合って、でもどちらがよいとも悪いとも言えないとか。あるいはエボラ出血熱に感染した地域で、その現地の風習や風俗を守ると感染を拡げてしまうことになるとか。

問題も明らかだし、深刻なのは分かるけれども、解決策がなかなか思いつかない。それ以上にもやもやが溜まるのは、知ったところで自分には何もできないこと。知ってしまった以上は、罪悪感や無力感を感じてしまう、というような話である。

知らなければよかったから、知ってよかったへ

全15回の授業が終わって、最終回に受講生全員で車座になってディスカッションをした。この授業で、われわれは何を学んだのだろうかと。

自分の心の中に罪悪感みたいなものが高まっていくし、最初はこんなことは知らないほうが良かったと思っていた。いや、でもやはり知って良かった。この痛みを感じるということが、何かの出発点になるのではないだろうか。そして、何か些細なことでも、行動に結びつけることができるのではないか。

「もやもや感」こそが世界市民の証

知ることで、感じることで、態度が変わり、行動が変わるということを、この赤十字パートナーシップ講座を運営していく中で実際に体験した。その時の学生の目の色の変わり方というのは、私にとってはこの数年間で忘れられない体験の一つだ。

「もやもや感」。知ることで、単純に割り切れない問題の複雑さと解決の困難さを知る。知らなければよかったのに、という思い。無力感と罪悪感。しかし、それが出発点である。その痛みこそが、人間であることの証でもある。

世界市民とは、他の人びとの人道危機に「もやもや感」や痛みを感じることのできる人たちのことなのではないか。


その4に続く。