筋肉労働への適性で淘汰されてきた人類が頭脳労働偏重の現代を生きてゆくために必要なこと

教育と学習に投資することの重要性が増してゆく

かつては就業人口の8割が農林水産業で働いていた

明治初期(1870年頃)の就業人口に占める第一次産業従事者比率は8割強だった。ざっくり言うと、働く人たち10人のうち8人が農林水産業に関わる仕事に家族総出で従事していたことになる。農耕革命以降、1万年以上も前から延々と続いてきた仕事に、である。それが今では5%未満。20人に1人もいない。

筋肉労働に比べて個人差が大きい頭脳労働

人類の歴史は食糧獲得を目指すサバイバルの歴史であり、ほぼ全員が肉体労働に従事してきた。筋肉労働では、一人で他人の百倍や千倍の成果を出すのは不可能であるため、人間の数が生産量の多寡をそのまま左右した。

しかし、頭脳労働では肉体労働に比して個人間の能力差がより大きくなる。一人の天才の成し得た業績や成果に幾百の凡人が束になっても叶わないということさえありうる。よって、単なる人間の頭数だけではなく、労働の質もまた問われることになる。

頭脳労働は後天的な要因の影響が大きい

おそらく長い間かけて人類は主として肉体労働への向き不向きで自然淘汰されてきたのだろう。それゆえ、現代のような頭脳偏重の労働に遺伝子レベルで適性があるとは言えず、それが情報化社会で働くわれわれにとって大きなストレス要因になっているのではないだろうか。

筋肉労働に必要な能力は先天的な要因の影響が大きい上、個人差はそれほど大きくない。しかし、頭脳労働は後天的な要因の影響が大きいので、教育や学習での伸びしろが大きい。近代国家において教育が発展の礎と呼ばれた理由だ。

単純反復型の労働はなくなってゆく

20世紀においては、頭脳労働にシフトしてきたとはいうものの、それでも単純反復型の技能を生かした労働がたくさんあった。例えば、タイプライターを使えることや、そろばんを弾くのが達者なことだけでも、十分に職が存在した。

しかし、情報化社会・ネットワーク社会になった21世紀の今、単純反復型の作業はコンピューターやロボットなどに置き換えられていき、そのような仕事が残っていたとしても時給アルバイトの求人しかないような状況になってきた。

人びとの仕事が定型的・反復的な業務から、臨機応変に変化に対応し、自発的・自律的に自らの仕事を変容・変革していくような非定型的・創造的業務に比重が大きくシフトしてきている。

創造的・変化対応型の頭脳労働には学習が不可欠

そのような臨機応変かつ創造的に対応していく頭脳労働には、遺伝子レベルの本能では十分対応できるはずもなく、自ら大脳新皮質に知識や技能をインプットして日々更新していく必要がある。

つまり、筋肉労働主体の時代と比べて、また単純反復型労働の時代と比べて、教育や学習の果たす役割はますます重要になってくる。学校を卒業した後も、一人ひとりが意識的に学びに取り組み、自らの知識と技能を日常的に更新していくこと。そのことから得られる社会的かつ個人的利益もより大きくなっていく。


大学で教育に携わる身として、いわゆる生涯教育について今後も考えていきたいし、自分自身の生涯にわたる学びの習慣についても目を向けていきたい。

まずは、ゼミの卒業生に対するアフターサービスから始めてみるのも良いかもしれないな、などと思いつつ。