空気を読むことと傷つかないことだけ上手になってゆく大学生

同調圧力に負けず、自分を外に出すことの重要性

昔も今も変わらず、大学の授業に対する学生たちの一般的な態度として、以下のようなものがあるように思える。

教室の前の方に座るのはみっともない。

自ら挙手して発言するなど、目立ちたがり屋で浅ましい奴だ。

出席を取らない授業に出るなんて馬鹿のやること。

ガリ勉して良い成績を取ろうとするのはイケてない奴だ。

授業はできるだけサボりつつ、試験対策だけしっかりやって単位を取るのが要領がよくスマートだ。

教員を見下したり、バカにしたりする学生の方が、教員を評価したり尊敬したりする学生よりも賢くてカッコよく見える。

上手にズルをしながら、うまく立ち回る

まあ、簡単にまとめると大学の授業なんて何の役にも立たないんだから、上手にズルをしながらうまく立ち回り、最小の労力で卒業資格だけ取れてしまえばそれに越したことはないということになるのかもしれない。

キャンパスでゼミの学生が友人たちと一緒にいるところに出くわすと、気づいた瞬間に目を逸らされてそっぽを向かれ「こんな人知らないよ」という顔をされることがある。教員に対してにこやかに挨拶でもしようものなら、「お前何ペコペコしてんだよ」とか「ごますりキショい」とか冷やかされて仲間内での序列が下がりかねないのだろう。

空気という名の同調圧力

最近は、学生たちの授業に対する態度や姿勢も随分と前向きなものに変わってきてはいるが、やはり底流にはこのような態度を形作っている空気という名の同調圧力が根強く居座っているように思える。

そのような空気が、目立ちたくない、カッコ悪いところを見られたくない、恥をかきたくない、周囲から浮くのは怖いという学生心理をもたらしているのだろう。

目立ちたくないのに、見出されたいという矛盾

一方でそれと矛盾するような非現実的な期待を同時に抱えている学生たちも少なからずいる。

いつか好みのタイプが目の前に現れて「付き合ってください」と告白してくれるはず。

いつか誰かの目に留まって「うちの会社で働かないか」と誘ってもらえるはず。

その前段階のストーリーを自ら作っておかなければ、自分の頭の上にそんな幸運の隕石など降ってくるはずがないのに。

カッコ悪いところを見られたくないと、いつも尻込みして他人の背中に隠れている限り、カッコいいところを見せる機会も永遠に訪れない。群れの中に紛れこんでいつも首をすくめて縮こまっているのに、誰かが見つけてくれるはずもない。

空気を読むことと傷つかないことだけ上手になって

空気を読むことと、傷つかないことだけどんどん上手になってゆく。自分を外に出さずに、目立たぬように心がけて隠れているのに、誰かに見出してもらおうなんて虫が良すぎる話だろう。

そして、就職活動になった途端、企業説明会では前の席を奪い合い、挙手しては質問と感想を述べ、グループ面接では他人を押しのけてでも自分をアピールしようと必死になる。しかし、普段拒絶してきたようなそういった行動が板についているはずがない。


傷つくことを恐れず、群れから一歩前に出て、自分を外に出す練習を早めにしておきませんか。大学の授業でもその練習は大いにできると思いますよ。