生き神に祀り上げられた経営者のご託宣に従う企業で起こること

古き良き時代の勝利体験がもたらす深刻な弊害

日露戦争の英雄が軍神に祀り上げられたことの致命的な悪影響

50代や60代の本社役員やスタッフの昭和ノスタルジーに基づく「古き良き時代の現場感覚や勝利体験」が企業の現場サイドにもたらす弊害は、日露戦争の英雄の言動が昭和の軍隊組織に与えた致命的な悪影響に似ている。

東郷平八郎が軍神として祀り上げられてしまった結果、どんな些細な変更でも東郷が「私はこのやり方で日本海海戦に勝ったのだ」と言えば取下げざるを得なくなってしまった。相手が人間ならともかく、生き神に対して逆らうことなどできなくなってしまったのだ。

そして、根拠のあやふやな彼のご託宣に組織の命運が振り回される結果をもたらした。東郷が死ぬまで、海軍は彼の承認を得なければ軍服すら変更できなかったのである。

高齢の経営者が生き神に祀り上げられた企業で起こること

70代や80代以上の相談役や顧問がこういう生き神の役割を演じている企業はないだろうか。

経営者が神に祀り上げられた途端に、神に合わせて現実の方がねじ曲げられるようになってしまう。うまくいったときには神の判断と結果との間に因果関係がこじつけられ、失敗したときには、まったく別の要因が責任を取るべき生贄として血祭りにあげられることになる。

引き際が鮮やかだった本田宗一郎

そういった生き神とは異なり、引き際が鮮やかであった経営者もいる。

彼自身の手により大成功を収めた空冷エンジンに固執していた本田宗一郎は、水冷エンジンを押す若いエンジニアを怒鳴りつけていたそうだが、ひとたび自分の負けを認めると以後一切余計な口出しをすることを辞めたという。


こういう人こそがむしろ真の意味での生き神ではないだろうか。