他人基準で生きてゆく人生は自己否定と他者否定が不可欠な生き地獄

自分基準による絶対的な自己肯定を得て抜け出そう

優越感で心を潤す人は、それと同じかそれ以上に、劣等感で心が干涸らびていく場面に出くわすことになるだろう。

他者否定と自己否定が優越感と劣等感の源泉

優越感と劣等感は、優劣基準という物差しに自分と他人を照らし合わせることで生まれる。他人に対して自分の方が上であると感じた場合に優越感が生じ、逆の場合に劣等感が生ずる。優劣基準に基づく「他者否定」が優越感の源泉であり、逆に「自己否定」が劣等感の源泉である。

優劣基準というランキング情報の社会的共有

己の中で優越感が社会的意味を持つためには、自分が優越感を味わっている時、相手には同時に劣等感を味わっていてもらわなければならない。逆に相手が優越感を味わっているだろうなと想像する時、あなたは劣等感に身悶えすることになるのだが。

社会的にそういう構図が出来上がっているのは、自分と他人の間で、つまり世間一般で優劣基準という物差しを共有しているからである。つまり、われわれは数多くの項目からなるランキング情報を共有している。

学歴、人気、財産、容姿、職業、地位、家柄などキリがない

例えば、学歴という世間の物差しで自分と他人を比較している人は、自分よりも良いとみなされている学校を出ている人に出会った時には劣等感を、逆の時には優越感を覚えるだろう。

こういったランキング情報には様々な項目がありうる。試験の点数、成績、財産、人気、容姿、人脈、持ち物、居住地、出身地、学歴、職業、地位、資格、家柄など挙げていったらキリがないくらいだ。

高校生などは、学校という閉じた世界における人気者ランキング、いわゆる「スクールカースト」において自分がどこに位置づけされているかをつねに推し量りながら学校生活を送っているのではないだろうか。

本当に安心したり満足したりすることはできない

そして、そのランキング情報という物差しで頂点に君臨できることなどまずあり得ない。上を見たらキリがないとはよく言うが、いつでも上を見ては劣等感を味わうことになり、永遠に安心や満足を手にすることができない。

しかも、世間の優劣基準というものは、自分では動かし得ない上に、気まぐれに変わることすらある。美人の基準や、良い勤め先のランキングなども、時代とともに移り変わる。わが国でも先の敗戦を機に、軍人や華族といったエリート層が一夜にして基準の頂点から転げ落ちた。

他人基準で生きてゆく限り劣等感から逃れることはできなくなる

世間の優劣基準とは、己の内側にある絶対的な価値基準すなわち「自分基準」ではなく、社会的かつ相対的な「他人基準」である。

よって、優越感を味わおうとすればするほど、自分基準ではなく他人基準で生きてゆかざるを得なくなり、それとセットで付いてくる劣等感から一生逃れられなくなる。

ハイになるために薬物に手を出している麻薬患者が、効き目が切れた時の禁断症状の地獄からも逃れられなくなるように。

他人基準で生きてゆくためには自己否定と他者否定が不可欠

優越感や劣等感は、他人との比較における「相対的な価値」にこだわる心から生み出される。そして、己を肯定するためには必ず比較に基づく「他者否定」を行わなければならなくなる。言い換えれば、他人を否定することなしには満足が得られないということになる。

逆に、他人を肯定するためには「自己否定」をせざるを得ない。つまり、自分あるいは他人を認めてあげるためには、延々と自己否定あるいは他者否定を繰り返してゆかざるを得なくなる。これこそまさに、他人基準の世界で生きてゆく「生き地獄」である。

自分基準による自己肯定がもたらす納得感と安らぎ

それに対して、自分基準を持っている人は、それに基づいて自分を肯定することができる。他者との相対的な比較ではなく、自分専用の物差しにおける絶対的な評価である。そこには自己否定も他者否定もなく、自己肯定と納得感がある。相対的な否定から生まれる快感や苦痛ではなく、絶対的な肯定から生まれる安らぎがある。

絶対的な肯定を得て生き地獄を抜け出す

自分基準という名の価値観や人生観を見定めることができた時、他人基準が生み出す優越感や劣等感に振り回される「生き地獄」から抜け出し、絶対的な肯定が得られ、そして安らいだ心で人生を歩んでゆくことができるようになるだろう。


自分も他人も否定しながら、優越感と劣等感の間をふらふらとさまようような人生をこれからも続けてゆきたいですか。

一時の快感を得るために長く続く苦痛に身も心も引き裂かれる麻薬患者と同じような生き地獄から、そろそろ自分を解放してあげてはいかがですか。